昨日の夜中の2時に、突然の「ボン!」という爆音とともに停電した。「何が起こったんだろう?」しばらく前に映画「サバイバルファミリー」を観たところなので、さながらリアルサバイバルナイトだった。
その前に私という人間を解説する。最近いろいろな人がいろいろなことを書いていたりして、それをいろいろな人が引用して紹介している。それぞれの知識や意見があり、とても参考になることが多い。しかし、私という人は、あえて人のブログを探して読んだりはあまりしていない。それよりも自分の中の声を聞こうとする。
それは私のもっている数秘の数によるもので説明できる。データを多彩な方法でリスト化し表現する、依存やブレることのあまりない人間だと思う。私は音楽を聴くと額から数センチ離れた部分に楽譜が現れるという特性があるが、どうやら自分の考えた文章も同じ場所に見えてくるということに気が付いた。だから比較的すらすらと文章を書ける。(それがすばらしい文章かは置いといて)でも、その表現したものを誰かに読んでもらおうとか、人を神聖にしようとかまったく思わないで書いている。ただ表現できればそれでいいのだ。
では今回のテーマ「事象から学ぶ」とはどういうことか? 新庄選手のテレビをたまたま見たことやいきなりの停電になったことにはどういう意味があるのだろうか? などと考えてみる。電気を使える便利さとありがたさを身をもって体験させてもらったのか? 確かに新型コロナウイルスの緊急事態宣言でたいへんな時ではあるが、衣食住はきちんと安心できて整っているし、不便なことはない。でももし… 自然災害やテロなどでライフラインが止まってしまったら… ちょっと怖いなということをいろいろ想像してみる。
ちなみに午前2時の突然の爆音とともに電気が消えたとき、2~3分ですぐについたのだが、5時ぐらいに起きてみるとまた停電していた。でもそれは、外で電気工事の作業をしている人たちがいる。どうやら電線が切れたかなにかで工事のための停電で、それもたかだか80戸だった。日本の生活水準はおそるべし!寝ている間にいろいろなところでたくさんの人が働いてくれて私たちが生きていける。そしてほどなく電気が復活した、何事もなかったかのように。(早朝仕事のえみりのママは、グレッグがくれたキャンドルを灯して朝の準備をしていたようだ)
この事象のおかげで、私は自分が生きているのが当たり前から感謝に変わることができた。事象から学んだのだ。
そして昨日のNHKニュースで、山本太郎がしゃべっていたのをたまたま聞いていた。この人はれいわ新撰組の山本太郎ではなく、長崎大学の医師で感染症が専門の先生のほうね。
この先生は熱帯雨林などさまざまな場所で感染症の研究をされており、新型コロナとどう向き合うか というタイトルに対して「感染拡大のスピードと致死率を下げる努力をしながら共存するしかない」と訴えている。私が以前に書いた文章 ”ウイルスとの共存共生について” とよく似た内容で、もともとは動物と共存していたウイルスがグローバル化によって変異していき、現在に至っていると話す。
http://www.komei.or.jp/km/tanaka-masaru-hiroshima/2020/04/04/085417/
でもこの状況が、歴史から見ても大きな社会変化の要因になっている、というところに興味をひかれた。
14世紀に欧州全域に波及したペストでは、ペストの脅威を防げなかった教会は権威を失い、中世の封建的身分制度は解体に向かい国民政治が始まった。1918年ごろに世界中で猛威をふるったスペイン風邪は、その甚大な被害から、第1次大戦の終結が早まったともいわれている。
今回もそのケースだ。やはり人間は自然には勝てず、そもそも勝つ負けるの世界ではなくワンネス・・・共生なのだ、と気づくべきだ。がしかし、そこまではいかないかもしれない。でもでも、お金に頼ってきた生活がなにかおかしい、と思う人が続出していることは確かではないか? ベーシックインカムのような形に少しなったか?のような事象は、経済の行き詰まりと共にこれからどう生きるかを考えること示しているのではないか? そう、もうすぐ何かが変わる予感がすごくする。
またまた余談だが、以前の ”今の時期に考え直すこと” でも書いたが、暇でよくテレビを見ながらいろいろなことを思う。やはりアメリカは精神性が高いとは言えないところがある。「トムとジェリー」はよく知られたアニメだが、考えてみれば相手を憎み陥れて、人の不幸を笑うことが永遠に続く、子どもに一番見せたくないアニメだ。そして例の「スタートレックピカード」の退化しているのではないかと思うくらい進化していない24世紀の未来SFドラマ。
個人的にもう一つ、「クレヨンしんちゃん」は本当にひどい。毎週放送の30分アニメは、日常のある場面をほんわかと描いているにもかかわらず、映画「クレヨンしんちゃん」になると、必ず過去にトラウマを経験した敵が世界をコントロールしようとするのだ。ヒーローさながらそれに立ち向かうしんちゃんをはじめ5歳児のストーリーが、小さな子どもがあんなに危ない目にあうとは虐待だ!と思ったり、戦うことが勇気と正義ではないだろ!と怒ってみたり、本当に見てはいられないのだ。(全作を観て確かめた)そしてこれも、おもしろかった、という感想はあるが、私のように思っている人はどうやらいないらしい。悲しい。
日本のドラマは敵と戦うというお国柄ではないが、努力をすれば報われる的なものが多く、みんなで何かを作り上げて成功を収めるというものが多かった。ひたすらがんばるやつね。しかし最近は「ゆるキャン△」がお気に入りなのだが、女子高生のひとりキャンプを楽しみ、たまにみんなでもキャンプする、という自分スタイルのものや、何もしない考えない、1番やりたいことだけ楽しむ、といった、がんばらないドラマが多く出るようになった。
アニメも本当に時代や場所を反映する鏡ともいえる。ハリウッド映画のような洗脳の意味もあったのかもしれないが、北斗の拳、宇宙戦ヤマト時代を生きた私としては、もう残酷な時代は始まっていたようだ。まるで神アニメとも言える世界名作劇場のようなアニメは今はもうない。まだそれを放送していた時代にちょうど子どもだったのはラッキーだった。私はアニメを見ないからよく知らないが、暗殺教室? 進撃の巨人? 鬼滅の刃? 女の子も戦うようになってしまったプリキュアシリーズ?などなど… アニメ天国日本はある意味世界をリードして発信している国ともいえる。その責任は大きい。この事象も考えなければならないか。
どうせ終末思想を描くなら、これはいい。富山県出身だからというわけではないが、私がこどものころから読めた漫画は手塚治虫とこの人だけ。藤子不二雄第2弾。「みどりの守り神」(コメントを消して観てください)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm7122871
そして事象(どんなことが起こったか、または起こらなかったか)から学ぶもののまとめだが、それを見た、見なかったは偶然ではない。自分にとって意味があるもの。そこから何を学んで、どうやって役に立てていくか、が大事。実践できるものでなければ意味がない。
それでは新しい世界が来るこれからの変化の過程を一覧にしてみた。山本太郎先生のテレビを観なければ思いつかなかった。事象から発生したものから学んだ、役に立たせる方法の一つの考え方の例。
- 治療できない未知の伝染病が起こる
- 自分の周りにひろがっていく。それに対抗しようとする。
- 戦っても自衛できないと悟ると、責任転嫁して誰かを恨む
- ものすごく個人的になる。それを余儀なくされる。
- 自分たちだけでも生きていこうとする。でも限界を感じる。
- 周りを見回してみる。なにかがおかしかったと気づく。
- 同じ考えの人がつながっていく。
- ひとりではどうしようもできないことをみんなで解決していこうとする。
- いままで何が悪かったのかを反省してみる。
- 多くの世論がであらゆることを変えれると知る。
- 一致団結して新しい世界をつくっていく
- 新しい世界が訪れる
なーんだ!これでいいのか!正しい方向に進んでいたんだね。やっぱりワクワクして楽しみに待っていればいいんだ。でも1度は個人に戻って考えてみる必要があるんだね。
~1999年は「1」の時代。男・父親・ファシズムの世界だった。2000年~2999年は「2」の時代。女性が活躍し、脚光をあび、認められ、また、相手と自分との関係や2極性を学ぶとき。と、自分で勝手に思っている。今回は初めて「2」の時代で起こっていますよ!
今これを書いているすぐ横で、えみりがyoutubeのアニメを見ている。どこの国のなんなのかはわからないが、言葉は何語でもなく、感情を音にしたもののみ。でもおもしろいし意味も分かる。これってすでにボーダーレスだ。年齢性別国籍に関係なく、通訳も介さず理解してしまう。
今回の新型コロナウイルスも国境は関係なかった。どの国も同じように苦しんでいる。しかし、一刻も早く終息させるために、ワクチンや治療薬の進行状況などは国の資産とは考えずにすぐさま公開しているという。情報を分け合うほうがはやく薬の開発ができるからだ。そういう意味では国家間の協力なくして新しい未来が来ない、ということを知ることができると言えよう。
最後に、スマホの写真を見ていたら、過去にこんな画像を保存していた。これでこの文章を終わろうと思う。(いつも長い文章ですいません)
でも、がんばらずに。自分のペースで。