風になる

BGMです。こちらをどうぞ。旅立ちの風(ゲゲゲの女房より)

 

「ものを食べない」ことをなぜするのか? 健康のため? 修行? 貧乏? 食べる時間がない? ただ興味あるから?・・・ 私の場合はどれでもないと思う。何かをしている感覚がないからだ。毎日呼吸しているのと同じ。「食べない方がいい」という考えもない。おいしいものはどんどん食べて楽しみたいタイプ。それは断食ではない。「食からの自由」だ。

私は普通のほとんど食べない人とは違うのかもしれない。健康には気を使っていない。食べなくても食は細くならない。勧められたらいつでも食べる。大食いする。ジャンク食品のからだに対する悪影響を考えない。ただ食を楽しむ。しかし一方で、しばらく飲食していないことに後から気が付くほど「ものを食べる」ということは私にとって重要ではない。なぜならば、人はものを食べなくても生きていけることを知っているし、そのときは「空腹を楽しむ」ということの真っ最中で、それも楽しいからだ。

自由人の私は、「しなければならない、してはいけない」が大の苦手。食べなければ弱る、死んでしまう、生きていけない・・・という呪縛を解き放ち、好きな時に食べて好きな時に食べない。答えは自分のおなかに聞いてみるだけ。一番ありがちなのは、昨日はこれだけしか食べなかったから今日は食べなければ、などと計算してしまうことだ。年配の人がよく言う一日3食しっかり食べないとダメ!というのも古すぎる価値観だ。食糧危機になったら昆虫食をするという研究もあるらしいが、馬鹿だね、食べなけれないいのに・・・

私は食からも自由。それを宣言したもの勝ち。すると飲食にかかわる時間と労力とお金が必要なくなっていくのに気が付く。(具体的には、買い物する時間、献立を考える時間、料理をする時間、食事をする時間、後片付けをする時間、ごみを捨てる時間、食費、光熱費、交通費、トイレの時間、トイレの水の水道代、など)この空いた時間とお金を有効に使える。

また食べると、自分のからだの中で消化が起こり、排便まであらゆる過程の工場がフル稼働して動くことになる。食べている限りそれが永遠と続くだろう。ではもし食べなかったら?消化器官は活動することなく、消化に使われていたエネルギーが別のところで使えることになる。消化は自分でコントロールできなくて勝手に行われている活動だが、自らあまったエネルギーを自分で創作活動や生産活動などに意図して使うことができる。これを使えばなんと素晴らしいことだろう!

しかしこれもあとから気づいたことで、それをしたいために食べなくなったということではない。苦労したこともつらかったことも一度もない。ただ自然にそうなっていっただけだ。でも案外楽しかったので続いている、そういうことだと思う。

ちなみにこれは、睡眠にも応用できる。〇時間しか寝ていない、いろいろな要因で眠れなかったから眠たい・・・という計算は食べることと同じで、できないと生きていけない、弱って死んでしまうのではないか、と思っている間は本当にそうなっていく。寝れないがせっかくだからその時間を楽しもう、ぜんぜん寝てなくても明日も元気だ、と思えるようになればあまり寝てなくても平気になる。(ただし睡眠は宇宙と繋がる時間でもあるので、意識下でまだ完全に宇宙と繋がれないので、3次元では睡眠はある程度は必要)

自分のからだを自分でコントロールしよう。どうなっていくか?ではなく、自分がどうしていくか?をからだに教えよう。実は「呼吸」もそのようにコントロールできると思っているのだが、さすがにそこまでは到達していない。

2020年12月22日からの「地の時代から風に時代」とはこういう意味合いらしいです。
https://indeep.jp/era-of-aquarius-as-shown-by-the-combination-of-saturn-and-jupiter/

要約すると、「物質が、物質ではなく(空に)なっていく」つまり、目に見えなくなって空間を移動していくようなイメージとなるようです。もちろん地よりも軽く、速く、広く、柔軟に変化することは間違いないです。例えて言うなら、中身は同じものでも、今まではデータをCDに入れて一人ひとり手渡ししていたものが、メールに添付して一瞬で大勢の人に送られるといった感じでしょうか? お金が電子マネーになるのも同じでしょうね。情報も昔は図書館で調べ物をしていたのに、今は架空のクラウドライブラリ、インターネットにあふれています。確かにコロナウイルスも目には見えないよな~

風は意識して感じないと、どんどん先へ行ってしまい風に乗ることが困難になってしまいます。地にある岩にしがみついている人がいたら、それこそ一瞬を垣間見るだけで、ほんの一部ですらわかりません。また、地にあるものは動かないので目に見えますが、風は目に見えません。でも感じるし存在しています。

これを書いていて、ある事を思い出しました。それはCE-5中のETの存在です。近くに来てくれていて存在を感じるのに目に見えない。それは重い物質次元ではなくもっと軽い次元にいるからでしょう。目に見えないけど存在します。もしかしたら宇宙船から投影しているのかもしれません。なぜ目に見えない存在なのにわかるのかというと、テレパシーで相手の意識がこちらに伝わり、それを感じ取れるからだと思います。もちろん双方向です。いつも宇宙ファミリーからの愛を感じて幸せな気持ちになっています。

風の時代とは、目に見えないものを目以外の別の器官で感じ取ることが必要になってくるのでしょう。もう一つの方法は、目に見えるように物質に戻す、ということですが、あなたならどちらがいいですか?

さて、ではこれから食の自由になったとして、

  • ものを食べないので農業はいらない
  • 長く健康でいられる
  • 生きるために働かなくてもいい
  • 無駄なお金がいらない
  • 物質はいらない

となったときに、人々はどんな生活になっていると思っていますか?

もちろん、自分がやりたい好きなことを極め、それを社会に還元する、となれば理想的ですね。一部ではもうそういう生き方をしている人もいると思います。お金や家族や社会に縛られ、自分を犠牲にして身を粉にして働くという時代は終わりました。これは喜ばしいことです。早くそれに気づくか気づかないかです。

ではどんなことをしていけば幸せなのでしょうか? それは本当に一人一人違います。ある人は芸術活動で表現する、ある人は研究・探究活動、ある人は運動系で身体を使うなど、それは一人でやることもあれば、集団でしかできないこともあります。また特定の場所や道具が必要な場合もあります。砂漠でスキーはできません。

余談になりますが、食べなくなって農業もいらなくなって、お金のいらない世界になったとします。衣食住の大部分は何とかなるとして、あとは冬の寒さをクリアすればいいかな~と思っております。それは田舎暮らしをすれば、炭と囲炉裏、またはマキとストーブで暮らしていけるかと。田舎はいいね。

話を元に戻して、自分のやりたいことをして生きていける時代になって、人と人とのつながりはどうなっていると思いますか? 私はもともと好きなことを優先させて生きてきた人間です。なので基本的に生き方は変わらないと思いますが、成長するには他者が必要です。みんなで何かをしていきたいです。

今までは、家族の垣根を越えて、いろいろな人が同じ場所で、自分のやりたいことを極めながら体験を通して学びあう・・・という理想の姿を想像していました。そしてその地に五箇山を選びました。これは間違っていませんでした。今でもそうしたいと思っています。やはり五箇山しかありません。なぜならば、たくさんの人や場所とかかわることができたからです。気を使いながらでないと活動ができない、というよそ者を受け付けない気質がありますが、それはごく一部の人で、これから世代も変わっていき、私たちの力が必要だから来てくれ、と逆にお願いされるほどになるかもしれません。そうでもしないとどんどん過疎化していくだけですから。

五箇山はどんなところか?とは反対に、私たちが五箇山にとってどう影響を与えたか?についても考えてみなければなりません。五箇山は私たちのような人間がいることに少なからず影響を受けていて、考え方も少し変わってきたはずです。というか、私たちは閉鎖的な五箇山を変えていく力を持っているとさえ思っています。それを五箇山の人はどこかで感じているはずです。五箇山にコミュニティの種はあるので、花を咲かせることも可能なのです。だから、誰でも受け入れてくれる場所ではないから、もっと他にいい場所があるからと はい、さよなら、というのは嫌です。これは、父の実家があり完全によそ者ではないからとか、土地を持っているからということとまったく関係ありません。私はそれを利用したり有利に思ったことはありません。

五箇山には奇跡がたくさんありました。通うのが楽しかったです。私は無理して通っていたとは思いません。仕事や家庭を犠牲にしたことは一度もないし、行きたくないからだにムチを打って出かけていたわけではありません。行くたびに奇跡が起こり、笑顔がありました。行くと自然に癒されました。行くと異次元でした。

とは言いながら、帰農塾からてわざの事業終了までで、やり切った感があります。この後、例えば和田さんのところへ行くと、農業や事業など、私たちに必要ではないことをやることになります。てわざはたまに行ってもいいとは思いますが、最近は行くのがめんどくさいことがあります。てわざで何かを作ることはわたしにとって、とても楽しかったし、自分に合っていました。でも作ったものを売るなどの事業はしたくありません。五箇山の文化を通して、人と人との輪を広げていきたかっただけなのです。

「人とのかかわりの中で魂の成長をしていく」ことをやりたいのは今でも変わりません。しかしコロナ禍で、しかも風に時代になり、コミュニティに対して考え方が変わってきました。果たして土地、家、場所といった「地のもの」は本当に必要なのでしょうか? もしかしたらいらないのでは?という考えになってきております。

人と人との接触を避けることを強いられ、会えない状態が続き、リモートやオンラインという機会が増えました。これは感染の危険を減らすことが目的ですが、同時に場所を超えて繋がることができるということを示唆しています。場所を問わずに時間だけを共有できるのです。たまたまですが、世界中がそういう状況になりました。

かつて私は「私たちの思いとビジョン」
http://bamboo.singsong.jp/our-mind_vision/
の中でもこう書いています。(←アユさんに読んでもらうために書いたもの)

私たちの考えるコミュニティとは、家族として意識でつながる共同体です。人間の本質は魂であり、魂に宿る「調和と融合の意識」はあらゆるところにエネルギーを放ち、時空を超えて高次元レベルで人をつなぎ、場所をつくります。建物やその土地が魂を成長をさせてくれるわけではありません。場所はそこに住む人の意識によってつくられるのだと思っています。

つまり、場所はどこでもいいのです。今住んでいるところでいいのです。自分がいたい場所でいいんです。外国でもいいのです。コロナ禍で動けないからと言う意味ではありません。Zoomで十分だろうという意味でもありません。もっと魂的に意識で繋がる世界があるのでは?ということです。

もちろんコア家族は必要です。同じ目的を持っている仲間や、本当の家族や、知らない他人でも必要な時にコア家族になっていっしょに住みましょう。そして目的が変わったら次の場所へ進みましょう。それは自分が選択します。自分のやりたいことができる場所を選びましょう。今必要な場所へ行きましょう。

離れているからお互いに影響しあわない、成長できないということではないと思います。いつでも連絡できるし、たまに直接会うこともできるし、いつもは常に魂的な繋がりで一緒にいるのと同等なのはわかっているので、ETたちのように空間を超えたつながりは存在すると信じています。きっとテレパシーでなんでもわかることでしょう。

場所よりも一番大切なのは「意識の時代」に入ったと認識することです。風を感じて生きるというよりは、自分自身が風そのものになって、自由に風を吹かせるのです。風になって移動し、いろいろな人と意識で会います。すると時間はまだコントロールできないにしても、通信機器を使いながら、離れていても誰とでもすぐに交流できますよ。意識は同じ場所にいるようになります。しかも人数の制限もありません。寝床や生活用品、ご近所付き合いも必要ありません。交通費や移動の時間も必要ありません。農業などの地の時代のことをしなくてもいいので、自分がやりたいことのできる場所で生活しながら無理せず、いつでもコミュニティの一員になれます。(そのうち通信機器も必要なくなるET意識の世界が目標です。)

テレビを見ていると、スタジオの出演者と、リモート出演の縦長モニターの人との違和感がない。同じように参加して、みんなでその場にいるようだ。今でさえそうなっているのだから、さらに感覚を磨けば、どこでも直接会わなくても体験を共有し、感動も受け取れることができるでしょう。場所はそれぞれだけど、リモートやオンラインとして、またはそれ以上のもっと違う次元で何でもできるんだよ、とコロナが教えてくれたんですね。コロナありがとう、コロナ万歳! これからがずっと楽しみになっています。

私がこれを書いたのは2020年冬ですが、新型コロナの第3派が始まった秋ぐらいからの気持ちを綴りました。感染症はもう収束することはない、一生付き合っていかなければならない、これまでの生活には戻らない、ということは、新しい生き方を選択していく必要があります。そのひとつが意識で空間を超越する、ということなのかもしれません。コロナでしきりに会食を控えるようにと報道されていますが、その対策の一つが不食です。そしてとうとう、意識で何でもできる時代へシフトしていく時がやってきました。

「人生は嵐が過ぎ去るのを待つことではない。雨の中で踊るのを学ぶことだ」by Osho

嵐も雨も、自分のいる場所で楽しもう。晴れているところへわざわざ行く必要はない。今ここで、みんなで踊ろう。みんなで学ぼう。

現在の次元でやっているクレジットカード払いのオンラインセミナーはもう古いです。そんなことをしている時間があったらもっと先を行って、宇宙銀行支払いの【オンマインドセミナー】をテレパシーでどんどんしていきたいものですね。とくに魂的に深い子どもたちには・・・

オンラインは線で繋がるので限定的ですが、オンマインドは無限の空間で繋がります。新しい世界へようこそ!風になりましょう。

P.S.

KNB富山スペシャルでコロナ禍のニューノーマルの特集をしていた。そこで紹介されていた二人の起業家がいる。一人は個人経営の飲食店と提携してデリバリーサービスを展開する女性社長、もう一人は私がよく利用する「ラクスル」という印刷会社の社長。どちらも富山県出身だ。

そしてどちらも店舗を持たない。店舗は提携しているそれぞれのお店で、仕事の空き状況を見て店を割り振り、スピードと低価格を実現させることができる。全国どこでも展開できるシステムだ。それどころか中小企業はこの会社から大きな力を仮りる事ができ、またこの会社も新たな設備を投資することなく仕事が成り立つ。ギブアンドテイクのやりかただ。場所はどこでもいいが、小さな力を集約させ、結果的に多くに人に役に立つものを提供できる。これは使えると思った!

P.S.

2020年年末、友人と旅行する前日に、とつぜんその友人が作ってくれた車のミラーにぶら下げていた「ドリームキャッチャー」が切れて落ちた。振動で摩耗するのでこれで2回目だ。前回は切れたひもを結びなおして、また同じ場所にぶら下げた。今回もそうしたが短くなりすぎて同じ場所には入らなかった。仕方がないので運転席のワイパーを操作するところに場所替えした。ああそうか!場所は変わってもものは同じだな。大した違いはないな。やっぱり今はそういうことを考える時期なのかな?と思った次第です。