またとつぜん言葉が降ってきたのでこれを記す。備忘録も兼ねる。
9月に誕生日を迎えてからいろいろなことが変わった。年周期は「3」で創造のとき。9年前の私は、ドラマを見てはそのテーマソングやBGMとして流れている曲を楽譜に起こす、という作業を時間のある限りやっていた。それはもう、憑りつかれたように… 曲の全体の中から聞き取りたい1音に集中して聞き、それを入力していく作業を続ける。おかげでたくさんの中から一番大事なものひとつだけを取り出せるようになった。そしていつしか、聞こえてくる音楽とまったくいっしょの楽譜が出来上がる。これで誰でも弾けるようになった。(たまに耳コピで弾いている人がいるが、それだと他の人は弾けない…)
せっかくなのでネットにアップする。また、自分で演奏した音源も一部アップする。(視聴サイトはこちら)楽譜は基本無料公開だが、著作権でひっかかりそうなものだけ有料にする。ふつうは300円ぐらいのところ私は1曲150円。ジャスラックに50円ほど持っていかれるので収入は1曲約100円。累計10万円ぐらいの収入は得たし、たまに私の楽譜を使って「弾いてみた」などで動画投稿している人もいる。しかし私は、人に弾いてもらって注目されたいわけでもなく、お金を稼ぎたかったわけでもなかった。目的はひとつ!ただ「役に立つものを現実に創造すること」そしてそれは、できあがった瞬間より、苦労しながら作っている時の方が喜びが大きい。そうして次の誕生日が来るまで楽譜を作り続けたが、ちょうど9月でぷっつり創作意欲が切れた。創造の「3」が終わってしまったのだ。
さて、今回の9年ぶりの「3」だが、やっぱりまたあの時のように何かを創り続けるんだろうな?と予想する。今回は五箇山でかご編みをしているので、やはりこれかな?と思っていた。そしていつものように夢中になって編んでいた。編むことが好きなわけではなく、編み方を試行錯誤することが楽しかった。やはり「アイディアや方法を形にして、それを人に伝えていく」こんな楽しいことはない。
役に立つということは誰かに使ってもらわなければ意味がない。数秘のソフトを作っていた時もそうだったが、作りながら、喜んで使ってくれる人の笑顔ばかり想像する。便利で簡単で役に立つものを作ることが楽しい。こっそり誰かの役に立てることが本当にうれしい。その時に、人にすごいと思われたい、これを売って儲けたい、研究していきたい、などと思ったことはまったくない。断っておくが、別にお金儲けをしたいから作る人がいてもいいのだ。でもどうしても、いつのまにか自分の内側から湧き出てくる何かがそうさせてしまう。「便利で簡単で役に立つものを作ってこっそり誰かの役に立ちたい。」これは性分である。やりすぎて困ったもんだと思うが、だれにも止められない。
さて、本来なら今年は自分のもっている数で創造の「3」を楽しむところなのだが、今回はちょっと様子が違った。まずは幾分年を取ってしまったこと。50歳をすぎると、あちこちガタがきていて。メンテナンスが必要になってくる。更年期にもさしかかってくる。まだ白髪染めをするほどでもないが、9月以降急にいろいろな不調が出てきた。一番困ったのが五十肩だ。かご編みをしていたり仕事柄仕方がないといえばそうなのだが、激痛に悩まされた。そのあと緑内障が偶然見つかり、耳の感染症、膀胱炎、突き指など、若いころのようにはいかない。せっかくの「3」なのに、どういうことなのだろう? いろいろ楽しもうと思っていたところなのに…
新型コロナのおかげで、えみりが保育園に行けない。かなりの時間をえみりといっしょにいる。4歳児としてはすごく普通で女の子だしおりこうな方だと思う。ものの善悪はわかり、お絵かき、ぬりえ、ままごと、ブロックなどを楽しむ。自分が一番!ゲームに勝てないと泣いたり、大人のまねをしてなんでもやってみたり、育児書のとおりの成長をしているのがありがたい。むかしと違っていまのこどもはスマホのアプリやYoutubeで育つ。えみりは1~2歳のころから自分専用のiPadを持っている。高校生の娘がえみりぐらいのころは寝るときのお供は録画ビデオだったなーと思いだしている。時代は変わったものだ。
そしてその1日中いっしょに過ごすえみりだが、私と同じ数秘を持っている。それはいつもの自分を見ているようだ。
「ちゃん(私のこと)、これをここにくっつけたらかわいいんじゃない?」
などと言って壊れたおもちゃの部品となにかをもってきては、工夫して他のものに作りかえようとする。また、メルちゃんというお人形に紙をくりぬいて服を作っていたりして工作が多い。じょうずに書くことを極めたいとか、なにかを1から生み出したいとか、誰かに認めてもらいたいなどどいう知恵はないものの、やはり既存のものに付加価値を追加して便利で簡単で役に立つものに作り替えようというアイディアが、まるで私だ!と思う今日この頃だ。その発想力がおもしろい。これって意識しなくてもそういうことをしてしまうんだよね。ちなみに、美由紀ははやくえみりにひらがなを覚えてほしいと躍起になって勉強をさせようとするが、すぐに逃げていく。見かねて私が自作のひらがなボードをつくってやったら、ひらがなを覚えるというより文字を並べ替えて面白い顔をつくってしまった。覚える気ゼロ。まあ言葉のように必要に迫られていつのまにか覚えるようになるのを待つしかないか… それでもいい、いやそれしか方法ないだろう。
一番下の娘は花のJK。女の子ならファッションやメイク、芸能界、友達と遊ぶ、などが一番楽しい時期だろう。しかしうちの娘は、たとえば下着ならおしゃれでかわいいものを、と思うところなのに、日常に不都合ないし人に見せるためにつけるものでもないとボロボロでも気にしない。自分にとって役に立たないことに全く興味なし。合理的・現実的に考えて判断をする。私とよく似ている。IT情報系に進もうと思っているらしい。
先日も髪の毛をとかすブラシが欲しいから買ってくれと言うので店に向かう。やっぱり女子高生か⁈ どうやら目をつけていたものがあったらしくそれをゲット。ホテルでもらってくる無料のものがたくさんあるのにそれは1400円もした。なんでもイギリス発祥の絶対に髪が絡まないサラサラにしてくれるブラシだそうだ。娘は「かわいいかどうかは問題ではない、機能性がすべてだ」と言っていた。最短の時間で最低限の労力でできることが一番の美徳なのだ。実は私もこの意見に賛成。たとえば普段持ち歩くバッグを例にすると、機能性とデザイン性では10:0で機能性重視だ。おまけに自分で20もの機能を追加してしまった。何回も言うが、私と言う人はこういう人で、役に立たなければ意味がない。残念ながら美を鑑賞する心がないのだろう。デザイン性だけが創造ではない、機能性も創造のうちに入る。
さて、私の健康問題であるが、ひとつひとつ解決していこうと思う。耳の感染症は治るのに時間がかかるらしく、しばらくせっせと耳鼻科に通っていたが、新型コロナの影響で通院をやめてしまった。本当は病院で毎日掃除して薬を入れてもらい1か月ほどで治癒するらしいのだ。私は発想の転換をした。やはり菌を殺すのでなく、共存していくことにする。菌をペットとして自分の耳の中で飼いながらかわいがっていこうと思う。居場所を提供する代わりに、難聴などの障害を起こさないように頼もう。五十肩は痛みはなくなりつつあり、うまく動かせるように訓練していこう。最後に残るのは目だけだ。視力はいいが、疲れ目と緑内障と飛蚊症と老眼で見えにくい。目が見えなくなるとどんなに大変かを考えてみる。
緑内障はそのうち治療が必要だと思うが今は病院に行けないので、何か他の方法を探してみる。とりあえず、サプリメントや目薬や玄米食などを思いつく。または、規則正しい生活や生活習慣の改善などはどうだろう? でもこうも思う。もしかして私の目は見えなくなるのかもしれない。それならそれで、今を精一杯生きてその時が来たらそれを受け入れよう。
余談だが、目に関してはたぶん過去世で何かあったに違いない。箸などの棒状のものを持っているときに、なぜか人の目に刺して目をつぶしたくなる衝動に駆られることがある。これは前世で目をつぶしたかつぶされたか、なにか因縁があるに違いない。不思議と包丁などの刃物では何も感じない。あくまで棒状のものを持ったときのみ感じるのだ。そのカルマの解消からいまこういう状態で何かをしなければならないのだろうか?
想像と創造は同じ発音だ。想像から創造が始まると言っても過言ではない。視力がよかったせいか目に気を配ってこなかった。そのつけがいま出てきて、私は現在の自分を想像で観察してみる。今どんな状態なのか? からだの中に入って細胞単位で確かめてみる。どういうメカニズムで病変が発生しているのだろうか?
医学を学んだ人ならば、これを科学的に説明するだろう。でも私は、実際にCTやMRIや超音波などで見るのではなく、自分の体の中を想像で見てみた。いろいろな臓器がそれぞれの働きを24時間365日してくれていた。その臓器をもっと詳しく見てみると、その構成はひとつひとつの細胞だ。
ん? 何かに似ていないかい? そう、人間のからだは一人ひとりで構成された国の集合が地球を構成しているのと同じだ。または、もっと大きく言うなら、惑星が太陽系を作り、銀河を作り、宇宙を構成するのとも同じイメージだ。たった1つの細胞でも病気になると、すぐ近くの細胞にダメージを与えてしまい、それがすべてに影響を及ぼすことになりかねない。酸素や血液などは体中を巡るので、独立しては存在できない関係だ。すべてはつながって機能している、またそれぞれの役割がある。
私は、いままで目が見えていてくれたことに、また、朝起きるとまだ目が見えることに大感謝をする。よくここまで機能を果たしてくれたと。で、この先もし機能停止することになったとしても、私はその自由意思を尊重する。とにかく今朝は見えさせてくれてありがとう。無理な使い方をしていてごめんね、と。
目だけではないが、病気という事象がいろいろなことを教えてくれたと思う。見えることが当たり前と思っていたときは感謝をすることができなかった。最近は四六時中、どうしたら細胞が喜んでくれるかを常に考えている。そのために私に与えてくれた試練なのか?
先日グレッグに頼まれてグリア博士の新作映画「第5種接近遭遇」のDVDを作っていた。字幕をアップグレードするためにファイルを開いた。読みやすく観やすくするために修正を行う。2時間映画の早口英語の日本語訳はすごい量だった。それをはじめから10回以上読んでは直してところどころ暗記してしまった。何回読んでも内容がすばらしい。それに共感するところだらけで、そのうちETたちの愛も感じるようになってきた。目がしょぼしょぼになり明日はもう見えないかもしれないと思いながら作業していた。
映画の内容で、耳が聞こえない人がETガイドに治してもらったという実話が紹介されていた。ETならそれが可能だ。私は、ETに治してほしいとは思わなかったが、ETからの愛と癒しのエネルギーはものすごく感じた。
新型コロナのおかげで白鳥哲監督の映画が家で観れることはとてもありがたい。その映画の中で「はっ!」と気づいたことがあった。
「私たちも生態系の一部」
私は生態系を守っていくためにどうしたらいいかを考えてきたが、自分が生態系の一部とは思っていなかった。何かをしてやろうとはあまりにもおこがまししい。自分は微生物のように放射性物質などを減らしていくことなんてできない。下等だと思っていた微生物の方がすばらしい働きをしてくれる。では今の自分にできることは何か? 考えたことがこれだ。【すべてのものと共生共存して、感謝の気持ちを忘れない】 もちろん3次元でできることもするが、それをするのはそれぞれの専門家が行うのがいいだろう。
「いきものは同じ空気をわかちあって生きている」
これも素晴らしい言葉だ。現在は同じ空気をわかちあっては3密にあたるとして禁止されているが、本来空気はだれのものでもないし、生きるために欠かせない生命の源だ。空気はふだん当たり前のようにあって何も感じないが、呼吸以外にも音やいろいろなものを振動で伝えている。そしていつも私たちを癒してくれる。
癒しと創造はお互いに関連しあって循環している。癒しを創造し、癒しのエネルギーが創造の原動力となる。

怖いものはない。自分(を構成するすべて)に感謝して、そのエネルギーをどこかに還元すればいい。癒しを創造をしよう。誰かを癒そう。自分も癒そう。
癒しは生きる力だ。例えば目なら、目以外のところから癒しのエネルギーを与えて目に送ろう。ピンポイントでは意味がない。癒しのエネルギーを創造しよう。細胞が喜ぶように。
私の魂は私を構成するすべての細胞に対する健康への責任として、やってみることをリスト化してみた。
- 朝起きたら、細胞すべてに感謝してありがとうを言う。
- 呼吸が浅いと感じたので、常にいい呼吸をして良質な酸素をおくる。
- もしネガティブなものを除去したいなら違う次元の再生可能な場所に飛ばす。
- ETがいつも見守ってくれるので、安心して信頼して過ごす。
- どんなことが起こっても、いまがいちばん幸せであると思う。
- いつも想像力を使って細部まで自分の細胞に気をつかい、細胞を喜ばす。
- 浄化、シールド、手放し、お風呂などグレッグがよくやっていることをする。
- でも、いい想像ばかりしよう。楽しい想像ばかりしよう。
すべて意識のみですべて「ただ」だ。 そうこうしているうちに、ものすごく清らかな感謝の念の余波みたいなのが湧いてきて毎日とても気持ちがいい。感謝したもん勝ち。これにはETの愛もたくさん含まれていると思う。これこそが癒しで実際に癒されていくんだろうな? そうしたらますます創造できるね。(※私の場合ですが)
世間ではコロナに負けるな!と言ってるが、それは自分たちの精神に負けるな、という意味で、相手を倒して負かすことではないと想像する。少なくても自分はそう思おう。想像すればいろいろなことに気づき、創造したい人にとってはお宝の山。癒しのパワーも創造しよう。そして癒しのパワーを使ってさらに創造していこう。時間もあるし何でも可能だ。けっきょく私にとっては癒しと創造は同じエネルギーなんだ。「どんなことが起こっても、いまがいちばん幸せ」これを合言葉に、そう、いつもどおりの私でいればいいんだね。
ケロロ軍曹より「僕らの合言葉」ピアノバージョン
これも癒しになってくれたらうれしいです。(5歳バージョン)
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祖母バカです。今回も長い文章を読んでくれてありがとうございました。